ビリケン
ビリケン (Billiken) は、尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている幸運の神の像。日本では大阪の通天閣 5階(展望台)にあるビリケン像が有名で、「ビリケンさん」の愛称で親しまれ、特に足を掻いてあげるとご利益があるとされている。
元々は1908年にアメリカ合衆国の芸術家フローレンス・プレッツ(Florence Pretz)(詳細不詳)が制作した像で、彼女が夢の中で見た神秘的な人物の姿がモデルになっているという。これが「幸福の神様」として世界中に流行した。
通説では、名前の由来は、当時のアメリカ合衆国大統領ウィリアム・タフトの愛称であるとされるが、近年の研究では、カナダの詩人ブリス・カーマンによる1896年の詩集”More Songs from Vagabondia”所収の”Mr. Moon: A Song Of The Little People”の登場人物から、プレッツが名付けたと考えられている。
当時にあっては、顔だちはアジア人、足を突き出しての座り方はアフリカ人がモデルとされ、「足の裏をかいて笑えば願いがかなう」とされた。現在、アメリカではセントルイス大学のマスコットになっており、大学に属するすべてのスポーツチームが “ビリケンズ” を名乗っている。
そうだけど・・・じゃあ何よ?
たこやきなんちゃらとかいるのか?
のた坊主
おとら狐
おとら狐(おとらぎつね)とは、愛知県に伝わる狐の妖怪。
おとら狐は人間に取り憑き、様々な悪戯する妖怪で、取り憑かれた人間は常時では考えられない言動を行う。「おとら狐」の語源はおとらという娘に狐が取り憑いたことから。狐憑きの地方版と考えられる。
取り憑かれた者は左眼から眼脂を流し、左足が病むという。これは、かつて長篠の戦いにおいて鉄砲の流れ弾を受けた為と言い伝えられている。憑かれる者の多くは病人であり、憑かれると長篠の合戦のことや身の上話をよく語るようになるともいう。おとら狐が人に憑くのは、本来長篠城の稲荷社の使いであったおとら狐が、長篠の合戦後に社を放置されたことを恨んでいるためといい、後にそれを鎮めるために長篠城の城藪稲荷におとら狐が祀られたと伝えられる。後に社は、愛知県新城市の大通寺に移されている。
のた坊主
のた坊主(のたぼうず)とは、上半田(愛知県半田市堀崎町付近)の古狸の妖怪である。 人間に化けて、白と黒のだんだら模様のでんちを着て毎年酒蔵に勝手に入ってきて原酒を飲んでいき、のたのたと逃げていく。名前の語源は不明。
ある酒蔵に忍び込んだのた坊主はそこの男たちに捕まってしまう。そこでのた坊主はその酒蔵の男たちに、酒蔵の近くの藪の穴には自分を必要とする狸が二匹いるということと、今後は盗みもしないし、一族のものにもそんなことはさせないので助けてくれと言うと、その酒蔵の男たちはのた坊主のその様子を哀れに思い、のた坊主を許すことにした。 許してもらったのた坊主はその恩返しにその酒蔵の商売が繁盛するように守ると約束し、その後その家はますます繁盛したという。
愛知県
確か人魚がそれなりに有名だったはず
海女
海御前
ヘイケガニ
海にまつわる妖怪が多いかな?
港として交通の要所、かつ難所、漁場としても良好そんな背景があると思う。
茨木童子
茨木童子(いばらきどうじ)は、平安時代に大江山を本拠に京都を荒らし回ったとされる「鬼」の一人。茨城童子と書くこともある。酒呑童子(しゅてんどうじ)の最も重要な家来であった。
出生地には、摂津国(大阪府茨木市水尾、または兵庫県尼崎市富松)という説と、越後国(新潟県長岡市の軽井沢集落)という説がある。生まれた頃から歯が生え揃っていた、巨体であったなど周囲から恐れられ、鬼と化した後は酒呑童子と出会い舎弟となり、共に京を目指した。
酒呑童子一味は大江山(丹波国にあったとされるが、現在の京都市と亀岡市の境にある大枝山という説もある)を拠点にし、京の貴族の子女を誘拐するなど乱暴狼藉をはたらいたが、源頼光と4人の家臣たち(頼光四天王)によって滅ぼされたものの、茨木童子は逃げ延びたとされる。
何か微妙だな・・・聞いた事あるようなないようなwww
メジャーすぎだろそんなの知らんでスレ立てたんか?
知らんわこんなのwww酒呑童子の舎弟とかそんなクソ雑魚知らんて・・・
団三郎狸
団三郎狸(だんざぶろうだぬき)は、新潟県佐渡郡相川町(現・佐渡市)に伝わる化け狸。佐渡ではタヌキを狢と呼んでいたことから、団三郎狢(だんざぶろうむじな)ともいう。錦絵では同三狸とも表記される。
淡路島の芝右衛門狸、香川県の太三郎狸と並び、日本三名狸に数えられている。佐渡のタヌキの総大将。人が夜道を歩いているところに壁のようなものを作り出したり、蜃気楼を出したりして人を化かしたり、木の葉を金に見せかけて買物をしていた。自分の住処である穴倉に蜃気楼をかけ、豪華な屋敷に見せかけて人を招き入れたりもした。病気になったときには人に化けて人間の医者にかかっていた。
悪さをするばかりでなく、困った人には金を貸していた。その金は人に化けて金山で働いたり、盗んだりして稼いでいたという。また、団三郎の住処は相川町下戸村にあり、借用書に金額、返却日、自分の名を記して判を押して置いておけば、翌日にはその借用書は消え、代りに金が置いてあったという。後に団三郎は相川町に二つ岩大明神として祀られ、人々に厚く信仰されている。
メンマ
埼玉県
ハブだろお前のところは
わかりやすくてよいwww
座敷童子だけちょっと違和感
色の特徴 赤い
髪型の特徴 おかっぱ
いたずら好き、基本悪さはしない
多分全部口べらしかなんかで犠牲になった子供たちなんだと思う
昔は双子も片方は座敷牢に入れておくなんてこともあったみたいだし
口べらしした未熟児、奇形児への罪悪感とこうなってほしかったみたいな希望が混じってるんだと思う。
あえて言うならコロポックルとキジムナーはやまと民族、カッパ、座敷わらしはそのあとかなぁと思う
なんて言うかそういう視点でみたらそうなのかもしれんけど
カッパキジムナーコロポックルて自然の中にいて人間と関わらないイメージで
精霊とかに近いイメージだけど座敷童子は人間への関わりが強いみたいな感じ?
いやまぁあくまで俺のイメージだから別にいいんだけどねwww
俺もただのイメージだよ
妖怪は最終的には個人的解釈に帰結するからお互いのイメージ擦り合わせていって像をつかむしかないんだよ
スレちだな
妖怪スレ嬉しくてはしゃぎました
カッパは緑
キジムナーは赤いんだぞ?
あと五寸釘が苦手
遠野の河童は赤だよ
その他の地域のカッパも冬には山童になるけど山童は赤褐色
明らかにいたずらのレベルを超えてる事やってるし明らかに非人間的要素が多すぎる
ちがうかなぁ?
根本は同じものだと思うんだけと河童は付随する属性がすごく多いからなんとも
九州の秦氏を源流とする考え方もありだと思うし
宣教師が~ってのも面白い思う。
本来なら別物であるはずのモノがカッパって言う便利な言葉でまとめられてるだけなんだよ。
俺がいったのも河童のある側面をとらえたものだと思ってほしい
覚
覚(さとり)は、日本の妖怪の一つ。鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に記述があるほか、日本全国で人の心を見透かす妖怪として民話が伝えられている。
『今昔画図続百鬼』には以下のように、飛騨や美濃(後の岐阜県)の山奥に、人間の心を見透かす妖怪「覚」が住むと述べられている。
さとりって岐阜県なのかよ…
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