聖徳太子は予言者だった!?
・・と、みなさん一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
今日は、その聖徳太子が残した予言について紹介させていただきます。
その前に少し、聖徳太子の出生などについて触れたいと思います。
聖徳太子(574年2月7日~622年4月8日)の生まれた場所は宮中の馬小屋の前だったため
厩戸皇子(うまやどのおうじ)とも呼ばれていました。
馬小屋といえば、イエス・キリストも馬小屋で生まれています。
そのため、聖徳太子は、キリストの生まれ変わり?だという説や
キリストの話が日本に伝来して聖徳太子の話に
なったのではないかという説もあるようです。
歴史書に記されていた聖徳太子の予知能力
『日本書紀』の巻の二十二には、太子が「兼知未然」と記述されているとのこと。
「未然」とは未来と同義語で、「兼知」とは前もって知っているという意味です。
つまり、聖徳太子には未来を示す予知能力があったことを日本の正式な歴史書が証明しているのです!
※未来を予言し始めたのは25歳からだったそう。
しかし、『日本書紀』では、太子が予言者であったこと以外に、具体的な予言の内容までは書かれていません。
これは大使の死後、時の権力者が、都合の悪い部分やあまりにも怖ろしい予言についての記述を削ったためとも言われています。
その予言は「聖書のハルマゲドン以上の怖ろしいことが起こる」という内容だそうで、
日本仏法では、伏伝(最高の秘密の言い伝え)として古い寺などにこっそり伝えられているとも・・・
その聖徳太子が残した予言書が、今回紹介する『未来記』というわけです。
『未来記』に記されていた日本の終末
それでは、聖徳太子の予言は、どのようなことを言い当ててきたのでしょうか?
『私の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る。
そこはかつてない壮麗な都になり、戦乱を十回浴びても、それを越えて栄え、千年の間都として栄える。
しかし一千年の時が満ちれば、黒龍が来るため、都は東に移される』
この予言は、平安京遷都(794年)と黒舟が来航(1853年)し明治維新が起き、日本の首都が東京へ移されたという歴史的事実で証明されています。
首都が京都から東京に移されたのは1868年(明治元年、慶応4年)
鳥羽伏見の戦いや江戸城無血開城が起きた年です。
他にも、大化の改新や蒙古襲来、秀吉の朝鮮出兵など、歴史的な大事件の多くが的確に予言されているとのこと。
さらに、首都が東京に移された1868年の200年後には・・
『それから二百年を過ぎた頃、こんどはクハンダ(悪魔)が来るため、その東の都は親と七人の子のように分かれるだろう』
と予言しています。
そこから200年後ということは、東京に異変が起きるのは2068年という事ですね。
東京が親と7人の子供に分かれるとのことから、これは東京で大地震が起こるとの説があります。
まぁ、その予言は50年も先のことを言っているようなので、今心配してもしょうがないのですが・・・
いや・・・聖徳太子は、まだ恐るべき予言を残してました。
その予言では釈迦の没後から2500年後に日本の終末が訪れる事になっています。
釈迦が亡くなったは紀元前483、484、487、500年と4つの説があり、そこから2500年後というと、早い順に
↓
2000, 2013, 2016, 2017年となります。
釈迦入滅の2500年後が「2016年」だったとしたら、今年中に日本の終末を確実に予感できる何かが起こるのでしょうか・・・
そして、その出来事を境に日本が終末に向けて動き出し、約50年後の2068年に完結・・・という解釈もできますね。
もうすぐ何かが??
・・・もしかしたら日本はすでに終末に向けて片足を踏み入れてしまっているのかもしれません。
思い当たる節はいくつもあります・・・次々起こる大地震、原発のメルトダウン、火山活動の活発化、また中央構造線の動きも気になるところです。
この聖徳太子の予言を信じるかどうかはみなさん次第です。
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