今回は、わらべ歌「かごめかごめ」が徳川埋蔵金のありかを示す唄だった!と言う説について書かせていただきます。
この説は、やりすぎ都市伝説でも紹介されているので多くの方がご存知のことと思いますが、結論から言うと、埋蔵場所は「日光東照宮」だそうです。
しかし、新解釈により「日光東照宮説」は、どうやら間違いであるということがわかってきました。
まず、この説(日光東照宮説)を知らない方のために簡単に説明させて頂きます。
「かごめかごめ」は徳川埋蔵金のありかを表す唄だった!?
埋蔵金は昔から隠し方のテンプレみたいなものがあって3箇所に必ず分けます。
例えばこんな感じでバラけさせます
1、隠してあるぽい場所を作る(何もない)
2、ダミーの隠し場所(そこそこの財産を置く)
3、本物の隠し場所といった感じでバラけさせるとほぼ見つからないというか2番目のダミーの隠し場所のトラップに引っかかってしまいその近辺を探しまわり完全に探せない様にしてしまえる様になっています。
※赤城山では徳川家康の像の様な置物が見つかった引用元:https://jinno-q.net/2016/04/05/post-3177/
…というわけで、前回書いた赤城山は、ダミーだと言われています。
では一体どこにあるのか?
その答えは”かごめかごめ”の歌詞にあるとのこと。
まずは、「かごめかごめ」の歌詞のご紹介。
「かごめかごめ 籠(かご)の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?」
まず、かごめとは籠の目の事を指します。
つまり竹で編んだ籠の目のことです。
籠の一つ一つの目は、ユダヤの象徴、ダビデの星(六芒星)の形をしています。
こんな形です。
↓
次の歌詞・・・「♪籠の中の鳥は~」
籠の中の鳥とは「籠の中の鳥居」のこと。
「籠の中の鳥居」とは、関東地区にある徳川ゆかりの寺や神社などを指していて、
それらを線で結ぶと六芒星の形になるそうです。
その六芒星の中心にあるのが…「日光東照宮」。
「♪いついつ出やる」
…は、埋蔵金はいつ出てくる?・・・という意味だそうです。
唄は続きます・・・「♪夜明けの晩に鶴と亀が・・・すべった」とは、
日光東照宮には鶴と亀の像があり、これらの像に朝の光が当たってできた影のことを表しているとのこと。
出典:http://sekainoura.net/wp-content/uploads/2012/04/image087.jpg
そして、鶴と亀の像が朝日に照らされて影ができる方向には、徳川家のお墓があるのです。
歌詞の最後・・・「♪後ろの正面だあれ」は、
その墓の後ろを指していて、そこには、籠の目(六芒星)のマークが刻まれているそうなのですが…
よく見ると六芒星は上が欠けていて、その形は、まるで真下を指しているように見えます。
つまり、そこが徳川埋蔵金の本当のありかということのようです。
(-_-)ウーム…
なるほど~
…と、もっともらしく聞こえますが…
しかし、現在伝わっている「かごめかごめ 」の歌詞は、明治期以降に成立したものだそうで…
江戸時代の頃の「かごめかごめ 」の歌詞とは、違うようなのです。
文献では、このかごめかごめは江戸中期以降に現れる。
『後ろの正面』という表現は、明治末期以前の文献では確認されていない。
さらに、『鶴と亀』『滑った』についても、明治以前の文献で確認されていない。引用元:http://www.mwsoft.jp/programming/nlp/data/liblinear_start_04_kagomekagome.html
元々の歌詞には、「後ろの正面」という表現も…「鶴と亀」「滑った」もなかった…ってことなので、この歌詞の解読はかなり怪しくなってきました。
また、「かごめかごめ」と2回続けている辺りについても謎を残しています。
…ということで、次ページでは、江戸時代に歌われていた「かごめかごめ 」の解読を紹介したいと思います。
その結果…ダミーだと言われていた「赤城山」が復活しますので、乞うご期待!
次ページへ続きます。
コメント
第2章を拝見ました。
大変勉強されていて、驚きました。
これはヤバいですね。
TV局からオファーがあるまで埋蔵場所を隠しているんですが、見つかっちゃいそうですね。
第3章は、三枚の銅板の解読ですね!楽しみに待っています。
165さん
またブログの方に来てくださってありがとうございます^^
昨年2番組で徳川埋蔵金の発掘が再開したこともあり、『ギミア・ぶれいく』を夢中で観ていた頃を思い出して書き始めたという感じなので・・・ほぼにわか知識で恥ずかしい限りです^^;
2ch掲示板(6箱目)の方も読ませていただいておりますが、
165さんは埋蔵金の場所を住所付きでTV局の方へお伝えされているんですねw|;゚ロ゚|w 凄いです!
オファーがあると良いですね!
165さんがTV局とタッグを組んで、徳川埋蔵金を発掘するのを楽しみにしております((o(^-^)o))わくわく
とても面白かったです!
永遠の浪漫にしておきたい気持ちと、もし出て来たら…の気持ちが入り混じります。
もし出て来ても、何千億以上の価値がありますし、徳川家の財宝展なんかで世界中を巡回出来そうですよね。
生きてる間に見つからないかなー(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)
りんさん
読んで下さってありがとうございます^^
僕もそう思います! 生きている間に出てきてほしいですよね~o(^-^)o ワクワクッ
ですので、微力ながらですが徳川埋蔵金の謎に足を踏み入れてみました^^;
間を空けての更新となりそうですが、3章もよろしくお願いいたします(^o^)/
当時の『ギミア・ぶれいく』は夢中になって見ていたので、懐かしく読ませていただきました。
江戸城開城の時の消息を改めて調べてみたいですね。勝海舟は「そんなものは逼迫して使っちまってなかったのさ」と発言してます。開城に邪魔な新撰組の近藤勇を「大名にしてやる」と言って甲府に追い払ったり、「西郷隆盛との開城の談判が失敗すると江戸に火を放て」と、博徒に指示を出していた策士の海舟のこと、発言は鵜呑みにはできません。
一般的に考えても、巨大な国家組織が崩壊する際に、さすがに無一文ということはないでしょう。
小栗上野介と海舟は不仲のため、この件で消息を通じていたとも思えず(不仲を装っていたなら別ですが)、一体誰がこの金を差配していたのかが、謎として残ります。
個人的には勝海舟はちゃっかりとこの金を他所に移し、維新後の徳川家や窮乏した士族の援助、内容によっては新国家へと基金的なうまい使い方をしていたのではないか、と推測します。少なくとも「徳川家の復興」のような、さらに混乱を招く下らない使い方となる余地を、慧眼な海舟が許すはずがない。
ひょっとすると西郷とも、この件についても腹を割って話していたかもしれません。維新後に旧幕臣からは汚名をかけられながらも、その隠れた管理者として睨みをきかせるため、あえて新政府の高官の立場に着いていたような気がします。
埋蔵金として「4,000億円」はたしかに大金ですが、オリンピックに3兆円かかることを考えると、国の大事業の前でははした金です。こうした「維新後の治安維持」的な使い方くらいで、ちょうどよい金額だったのではないでしょうか。
これはあくまで想像で、歴史的事実はきちんと検証する必要がありますが、決して表に出てくるような類の話ではないでしょう。しかし、なんとなくありそうな気がします。
埋蔵金の話とはちょっとズレますが、こうした可能性を考えるのもまあひとつのロマンです。