ヒトラーが恐れた予言者「ルドルフ・シュタイナー」

予知・予言

 

 

 

スピリチュアルや占い、予言といったジャンルを論ずる際にしばしば登場する

アカシックレコード」という用語をご存知でしょうか?

 

「アカシックレコード」とは、アカシャとも呼ばれる宇宙のデータバンクのことで、

そこには全宇宙で起きる、過去・現在・未来の出来事や、すべての人間の感情や想念・情動までもが超物質的な方法で記録されていると言われています。

 

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宇宙の巨大な記録層「アカシックレコード」

 

 

この「アカシックレコード」と私たち一人一人はつながっていて、いまこの瞬間も、人生に対するあらゆる反応の情報を刻み続けているそうです。

※一説では、2億600万年前から西暦2万6000年までの人類史上に起きたすべての出来事と、それに対する反応の記録があるとのこと。

 

また、「アカシックレコード」は、霊界のスーパーコンピューターに例えられることもあり、預言者、チャネラー、霊能力者などと呼ばれる特殊な能力を持った人々によるリーディングやチャネリングは、この「アカシックレコード」にアクセスし、情報を読み取っているとも言われています。

 

アカシックレコードは、人間(あるいは全ての動植物)が放出するオーラ(生命エネルギー)が身体の周囲を取り巻いており、1-7層まで存在する、
その最も外側の第7層 ケセリック体(またはキリスト体)に存在し、ここにアクセスすることによって情報をリーディング(読み出す)ことが可能とされます。
また、地球に関する情報は、地上から130-300 kmくらいにある電離層(大気の上層部にあって、
分子や原子が宇宙線により分離した領域)にアカシックレコードとして保存されていると言われます。

引用元:http://hemitotsy.blog.fc2.com/blog-entry-25.html?sp

 

 

今回は、この「アカシックレコード」という言葉を作った人物についてご紹介したいと思います。

 

 


「アカシックレコード」にアクセスした人々

エドガー・ケーシー、レオナルド・ダヴィンチ、ジャンヌ・ダルク、そしてあのノストラダムスも「アカシックレコード」を未来の情報を得るのに用いたと言われています。
現代ではゲリー・ボーネル氏(Gary Bonnel、心理学者、哲学博士、米、1948年?)がもっとも有名

 

 

下の2つは関連記事です。

【ゲリー・ボーネルの予言】2018年までに日本を襲う大災害
世の中に予言者と言われる人物は数多く存在していますが、今回は「ゲリー・ボーネル」という予言者を紹介したいと思います。どのようにして予言を行うのかについて彼が言うには、「アカシック・レコード」という人類の集合意識体にアクセスして予言をするのだそうです。

 

【2018年日本沈没】エドガー・ケイシー驚愕の予言!
今回はノストラダムスやジーン・ディクソンと共に、世界三大予言者の1人として有名な「エドガー・ケイシー」を取り上げてみたいと思います。ケイシーは14,000件以上のさまざまな予言をし、その多くを的中させてきました。

 

アカシックレコードという概念を世界で初めて提示したのは、
神智学協会創設者のヘレナ・P・ブラヴァツキー夫人(Helena Petrovna Blavatsky、旧ロシア帝国、1831年8月12日~1891年5月8日)であり、

サンスクリット語の「アカシャ(原物質、原初の空間的実体、光を発する、霊気、虚空)」が語源です。

 

▲画像(ブラヴァツキー夫人)

 

 

そして、このアカシックレコードの存在を確立したのが、
今回、ご紹介する「シュタイナー教育」でも知られる
ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, オーストリア、1861年2月27日 – 1925年3月30日(満64歳没))と言う哲学者です。

 

▲画像(ルドルフ・シュタイナー)

 

シュタイナー教育 - Wikipedia

 

 

ルドルフ・シュタイナーの生い立ち

ルドルフ・シュタイナーは、1861年2月27日にオーストリアとハンガリーの国境の町クラリュヴエッグ(現在ユーゴスラビア領)で、
オーストリア南部鉄道の通信技師として働く鉄道公務員ヨハン・シュタイナーと、その妻フランチェスカの第一子として生まれました。

 

 

 

シュタイナーが生まれて一年半後にモールス信号の通信技師だった父親が転勤になり、ポットシャッハ(Pottschach)駅に配属されます。

 

彼は8歳までそこで生活します。

また妹(レオポルディーヌ)と弟(グスタフ)が生まれたのもこの土地でした

(家族は合計五人)

 

経済的に余裕のなかった一家は、そこの駅舎を住居として暮らし出すのですが、
その駅で、シュタイナーのその後の人生に大きな影響を及ぼすことになった「ある体験」をすることになるのです・・・

 

「精神的世界」への関心の発端

 

その体験は、シュタイナーが7歳の頃であったと言われています。

彼の自叙伝によると、ある日、彼がポットシャッハ駅の待合室で座っていると、そこに見覚えのある女性が入ってきたそうです。

その時の様子は次のようなものです。

 

その女性は扉から入ってきて、部屋の中央までくると、身振りを交えて次のように話しかけてきた。

「私のために、今もこれからもずっと、君のできる限りのことをしようとしてね」…と。

そして、しばらくの間、一度見たら生涯忘れられないような姿で女性は立っていた。

それから女性はストーブの方へ歩いて行き、その中へ消えてしまった。

 

その後、シュタイナーが家に帰ると、いつも朗らかな父親がいつになく悲しそうにしていました。

数日後、その理由が明らかになりました。

親戚の女性が亡くなっていたのです。

その時刻は、シュタイナーが駅の待合室で女性の姿を見た頃だったそうです。

 

彼は驚くと同時にその出来事を機に霊の存在を信じるようになりました。

 

 

以上の様に彼には子供の頃から、そういった「霊能力」があり、

また、物にさわるだけで、持ち主の情報を知ることができる「サイコメトリー」と呼ばれる超能力も備わっていたそうです。

 

 

しかし、こうした一連の出来事について彼は、両親に話さないでおこうと決心していました。

 

なぜなら、彼の父親は敬虔なカトリック信者であり、しかも当時の最新技術に触れていた電信技士でもあった関係上、
迷信的な事柄についての発言はいつも激しい反発を受けていたからです。

そういったことから、長年人には明かさず、自分の胸のうちにしまっておくしかなかったようです。

その間、彼が考えたことは、「霊能力」は決して特殊な能力ではなく、誰しもが潜在的に兼ね備えている能力であるということでした。

 

以下は、8~18歳の履歴。

1869年(8歳)、父親の転勤のため、ノイデルフルへ転居する。

1870年(9歳)、学校の代用教員に幾何学に関する本を借り、幾何学に魅了される。

 

1872年(11歳)、ウィーナー・ノイシュタットの実業学校へ入学。

一年生の時には学習に苦労するが、徐々に学力をつけ、最終的には「優等生」と評されるようになる。

1873年(12歳)、学校の年報の中にあった原子と分子に関する論文に触発され、自然科学の文献を読みあさる。

1874年(13歳)、機械論的な世界解釈と、大好きな幾何学に没頭する。

1877年(16歳)、小遣いを貯めてカントの『純粋理性批判』を購入し、一人で読みふける。またヘルバルト主義的哲学の研究にも没頭する。

1879年(18歳)、実業学校を卒業。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ルドルフ・シュタイナー

 

 

さて、少年時代、学業の方はどうだったかと言うと…

彼は学校の授業はほとんど聞かず、勉強好きではなかったそうですが、自分が興味を持ったことには、とことんのめり込むタイプで科学、政治、宗教、歴史、そしてピアノやヴァイオリンなど、マルチな才能に恵まれていたようです。

自分が興味を持った本を独学で学びながら、次々と自分のものにして行き、18歳で、ウィーン工科大学に見事合格しました。

 

▲1878年 18歳頃のシュタイナー(高等学校卒業時)

 

失望の大学生活

 

ところが、希望を抱いていたはずの大学生活は、彼にとってあまり役に立つものではありませんでした。

当時の大学ではどのような分野においても「 唯物論 (ゆいぶつろん) 的学問」※がベースになっていたことが彼を失望させたのです。
※この世のすべての事は、科学によって証明できるという考え方。

 

天体の動きや生物の仕組み、人間の感情まで、
すべてのことは科学によって説明できるとする「唯物論」の考え方に対し彼は大きな疑問を感じ、モヤモヤとした大学生活を送っていましたが…

この頃、彼の人生にとって大きな意味を持つ出会いがありました。

 

薬草採集人との出会い

 

シュタイナーが通学するのと同じ汽車の中で、田舎で薬草を採集し、毎週ウィーンの薬局に売っている男性、フェーリクス・コグーツキ (Felix Kogutzki, 1833-1909)なる薬草採集人と出会います。

 

この薬草採集人は、後にシュタイナーの自宅を度々訪問するようになり、二人は互いに霊界について語りあう仲になり、シュタイナーはこの人物について

「彼と一緒にいると、自然の神秘の奥処を窺(うかが)い見ることが可能であった。」
「彼と一緒にいると、私は文明や科学や現代的な物の考え方に侵されていない、前世についての直感的な知識を私に与えてくれる太古の魂を目の前にみているのだ、
という感じを次第にもつようになった。」

 

…と述べているように、この人物との出会いにより、シュタイナーの霊的認識はより深められてゆきます。

 

また、シュタイナーが21歳の頃には、この薬草採集人を通じて、薔薇十字団※の高位の「霊的指導者」とも知り合いになります。

シュタイナーはこの人物に対して多くを明かしていませんが、

この人物との対話を通して、シュタイナーは自分の使命をはっきり自覚するようになります。

 

 

シュタイナーが自らの霊的使命を歩むことへの問いに対して、この師は近代科学を竜に喩えて、
「お前が敵に打ち勝とうと思うのなら、まず、彼を理解することから始めよ。
お前が竜のふところに身を潜めた時に初めて、お前は竜に対する勝利者になるのだ。」といった意味の言葉でこれに答えたといいます。

 

 

薔薇十字団(ばらじゅうじだん、独: Rosenkreuzer ローゼンクロイツァー)とは、中世から存在すると言われる秘密結社。

紀元前1500年頃に古代エジプトのトトメス3世が設立した神秘学団の教えが、エジプトからギリシャへ、
そしてローマへと秘密裡に伝えられていき、西洋でその伝承を受け継いだのが薔薇十字団だとされています。

大自然の神秘的な法則と原理を学ぶことを目的とした密教の学会。
錬金術や魔術の知識をその根幹とし、惑星規模の社会改革を実現しようとしたグループ。
その謎めいた始まりから様々な推理や噂が飛び交い、フリーメーソンや神智学、「黄金の夜明け」といった団体に大いなる影響を与えたとも言われている。

引用元:http://ameblo.jp/eliot-akira/entry-10107240778.html

 

 

▲「ヘルメス薔薇十字」
古くから伝えられている錬金術的象徴である。
複雑に小宇宙と大宇宙のシンボルが組み合わされ、
仏教におけるマンダラのようなものとなっている。

ルドルフ・シュタイナーによれば、十字架は肉体を、薔薇は魂を意味しており、薔薇十字団から伝えられる叡智が、十字架から薔薇を解き放って自由にするためのものだという。自由になった薔薇(魂)は、高次の世界へと上昇できるという。

 

 

ゲーテの研究

 

また20代前半の時、シュタイナーは、自分が学ぶウィーン工科大学のドイツ文学史の教授でゲーテ学者でもあったカール・ユリウス・シュレーアーを通して、ゲーテ※に触れ、

自然(物質)と霊(精神)の間の架け橋を示すゲーテの世界観に共感し、まるでとりつかれたように、ゲーテの研究に没頭。

20代にして『ゲーテ的世界観の認識論要綱』を出版して有名になります。

 

 

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goeth)1749年8月28日~1832年3月22日)はドイツの詩人、
劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪。

 

 

その後、彼の元に多数の公演依頼がくるようになり、ドイツの各都市~ヨーロッパの各都市と広範囲で、そのことを伝えています。

また、シュタイナーは、精神科学や霊学によって得られた洞察を一つの理念の基に方向づけて人々に伝えようとしました。

※講演回数は、5965回( 講演のうち、記録に残っているのは約4,300回、活字になっているのは約3,800回分 ) 

 

次ページへ続きます。

コメント

  1. クオス より:

    ずっと更新待ってました\(^^)/
    もう一気に読み上げてしまいました!18歳の時のシュタイナー、イケメンですね笑

    • 管理人 より:

      クオス様
      コメントありがとうございます。
      神様(隠語)からのペナルティがあったり…その他諸々あり…更新がかなり遅れてすいませんでした^^;
      今後ともよろしくお願いいたします。

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