黄金ブルドーザー(Gold Dozer of Panama)
1940年に、パナマ南部のコクル地方で発見された遺物。
そこでは西暦500年~800年頃に作られた複数の黄金細工が見つかり、そのほとんどが動物をモチーフにしていたが、中には判別が出来ないものもあった。
この遺物は全長12cmほどで、背中にエメラルドが埋め込まれていた。
初めはジャガーかワニがモデルになっていると考えられたが、
尻尾に歯車があり、背中が平らで、胴が短く、また、足の関節が全て逆に付いているという謎が残った。
さらに、動物学者・超常現象研究家のアイヴァン・サンダーソンによって、
「これは古代の採掘機(ブルドーザー)ではないか」という仮説が挙がった。
尻尾に見えたのは掘削用のアームであり、先端にあるのは歯車動輪付きの鋤(すき)で、逆になった関節は車体を支える緩衝装置だという。
歴史家クセノフォンの記述には「クレーンのような物を使った」と言う記述があり、
古代ピラミッド等の遺跡が人力以外のもので作られたという仮説は未だ根強いので、古代に機械が使われていたという話によく取り上げられる。
この黄金ジェットといい、ブルドーザーといい
ええデザインやなあ
古代の鉄製ハンマー(London Hammer)
1934年にアメリカ・テキサス州ロンドンで発見されたハンマーの化石と言われるもの。
付近を散策していた夫妻が風化した岩の塊を発見し、その岩から木製の柄のようなものが出ている事に気づいたという。
1989年にハンマーの頭にある鋳鉄の成分をX線断層検査したところ、
鉄96.6%、塩素2.6%、硫黄0.74%、珪素0.06%という測定結果が出た。
鉄の純度が高いのは「錆びない鉄柱」などとも似ているが、現代の技術では塩素を含んだ合金が作れない事で疑問を呼んだ。
また、ハンマーの柄の部分は化石化しており、これは例えば労働者が置き忘れたハンマーが泥と土の中で固まった、という考えを退けるものとされる。
製造年代については、出土した地層から判断すると1億4000万年~1億6000万年前のものだという。
ただし、X線断層撮影で内部の元素分析を行うことは最新の理化学機器を以っても不可能である上、
表面の分析では付着した塩化物(人体由来など)の影響も考えられ、分析精度自体が疑わしいとも言われている。
経年劣化の様子をシミュレーションする方法はないんやろか
>>87
人類が姿を消した都市の衰退をシミュレートする「Life after People」っていう試みがあるね
https://www.youtube.com/watch?v=O3_eOdlTJHo
カンブリア紀の金属ボルト(The metal bolt of Cambrian)
1997年にロシア・ブリャンスクで発見された、石の中に埋まっていたボルトのようなもの。
モスクワ地質研究所が石の年代を調べたところ、およそ15億年前という結果が出た。
石の大きさは20cm程度で、後のX線検査で石の中には同様のボルトが10個ほどあるのが確認された。
当時、15億年前はカンブリア紀と知られていた事からこの名称が付いたと思われるが、
現在の地球年表を見てみるとカンブリア爆発が起きたのは5億7000万年前で、15億年前には大陸移動による超大陸の誕生が起きており、
多細胞生物の出現は10億年~6億年前とされている。
また、ヒトの歴史は約200万年~300万年、猿人の誕生を含めても600万年~700万年なので、当然このボルトができた時代にはカケラも存在していない。
モスクワ航空大学のチェルノブロフ教授は「15億年前に地球にやってきた宇宙船が何らかの原因で故障・爆発し、飛び散った部品の一部」と主張している。
みてて楽しいわ
→三億年前のネジ
1990年代にロシアの岩石の中から3億年前のものとされるネジが見つかったという記述もあった。
これは上述の「カンブリア紀のボルト」と同じものだろうか?
「発見以来、世界中から大きな注目を集め、正体を巡って激論が交わされてきた」といわれ、
「ロシアの科学者は、高度な発展を遂げたが滅亡した人類の失われた文明か、あるいは異星人の手によるものと主張する」と記述されている。
このネジは一方で海洋生物の化石だとする専門家も存在し、太古の海に生息していたウミユリの仲間の化石という説が挙げられている。
ネジ状の形はウミユリが分解する前に周囲に岩が形成されたことによるものだという。
物体を発見したのは「コスモポイスク」というロシアの超常現象研究機関で、隕石の衝突跡地を調査していた際に偶然発見したそうだ。
ウミユリの化石
ステム(茎)の部分
更新世のスプリング(Prehistoric Hi-Tech Nanospirals)
1991年頃に、ロシア・ウラル山脈東部の川で金採掘をしていた人々が発見したらせん状の極小部品。
これらのスプリングはロシア科学アカデミーとヘルシンキの技術研究所により分析され、
製造年代は推定2万年前~30万年前という結果が出た。
更新世はほとんどが氷河時代だったが、ネアンデルタール人や北京原人といったヒトも活動している。
発掘された金属類は銅製のコイルやネジのようなもので、加工に数千度の温度が必要なタングステン製のものもあった。
注目すべきはそのサイズであり、最小のものは0.003mmで、ほぼ完璧に成形された輪のついたネジまで発掘された。
また、検査を行ったロシア科学アカデミーはロシア国内で有数の権威を持つ機関であり、世界中の科学者がこのニュースに耳を傾けた。
しかしその後、出土品以外にも同じ場所で同じようなスプリングが数千個発見される事になる。
これは幾らオーパーツでも数が多すぎるとして、この土地の歴史を調査した結果、旧ソ連の時代に工業プラントがここで稼働していた事が判明。
さらに、そのプラントが閉鎖される際に出た産業廃棄物の処理に困り、この土地を掘り返して埋めてしまったという事が発覚した。
ネブラ・ディスク(Nebra sky disk)
ドイツ中央部の街・ネブラ近くにあるミッテルベルク先史時代保護区で1999年に発見されたといわれる青銅の円盤。
直径約32cm、重さ約2050gの青銅製で、大小幾つかの金が張られている。
元々の円盤には、37個の金のインレー(象嵌)があり、円盤の縁は前面から38個の穴が互いから決まった位置に開けられていた。
2005年、ドイツの研究チームはこの円盤を「約3600年前に作られた人類最古の天文盤である」と結論付けた。
また、ネブラの天文盤は前期青銅器時代の極めて裕福な王侯の墳墓と密接に関係しており、
先史中央ヨーロッパの初期に強い社会的な格差があったことの証と考えられている。
写真奥の円盤
ドロパ族の石円盤(Dropa Stones)
1938年に中国とチベットの境界に住む「ドロパ族」の地、青海省にあるインハル山脈(バインバル山麓という記述もあり)の洞窟から発見された石円盤。
ディスクは全部で716枚あり、花崗岩で作られ、内部に電気回路のようなものがあったとされる。
ロシアの検査によると、コバルトを含む金属物質が確認されたという。
製造年代は約1万2000年前~2万年前とされている。
また、ディスクの横からは正体不明の遺骨が数体発見された。
遺骨は幼児と思われ、身長が低く、頭が異常に大きいのが特徴だそうだ。
(もっと大きく120cm程度で、洞窟には宇宙の星々が描かれていたという記述あり)
写真を見ると眼窩が大きく、奇形の水頭症などとは違うようにも見える。
学者による調査の結果「適切な変換機があれば、ディスクに収められている電気信号を再生する事は可能だろう」ということだったが、再生機器はいつしか失われたという。
遺骨
画像←クリックしてご覧ください
ディスクは二次大戦で全部行方不明になったそうな
発生学円盤(Ancient disc of embryology)
「遺伝子のディスク」とも呼ばれる、南米・コロンビアから出土した円形の石の円盤。
炭分を含む「スレート石」という花崗岩と同程度の硬い石で作られており、直径22cm~27cm、重さは約2kg。
円盤は手で磨き込まれており、ボゴタ大学の地学者による調査では6000年以上前に作られたものと分析されている。
表面には男性の精子から胎児にいたるまでの成長過程、
裏面には細胞分裂の様子や生物の成長過程を思わせるものが段階を分けて描かれており、子供の絵、男女の区別などが見られる。
これらは顕微鏡のない時代に生物の発生・進化の過程が知られていたことを示唆するため、オーパーツという説が挙げられている。
この場合最も疑われるのは製造年代の偽装だが、最近の調べでその可能性は否定されているそうだ。
アステカのカレンダー(Aztec calendar stone)
アステカは、1428年頃~1521年までメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家。
アステカの遺跡はスペイン人の侵略によって破壊され、わずかに残っているだけだが、
その中でも特に重要な遺物として、1790年に発掘されて以来「科学への桃戦」と呼ばれた太陽の石「アステカのカレンダー」が挙げられる。
円盤の中心にある現在の太陽がさし示す舌、針となる黒曜石のナイフが、
宇宙を形作る4つの運動(ナウイオリン)と一致する時が「第5の太陽の滅亡」といわれ、それは人類の終末を示すとも言われている。
カレンダーによればこれまでに人類は4度滅亡しており、5番目にあたる現在の人類滅亡の日は2012年12月23日(書籍によっては21日~24日)と一部で解釈されていた。
→マヤの予言/マヤ暦の終わり(Mayan Prophecy/Mayan Doomsday)
ニューエイジ(新世界主義・霊性復興運動)関連の書物では、
マヤの長期暦(187万2000日を周期とする暦)は2012年の冬至付近で終わるとされ、
その日を終末論と絡めた形でホピ族の預言も成就する(2012年人類滅亡説)といわれている。
しかし、マヤの暦は現サイクルが終了しても新しいサイクルに入るだけで永遠に終わらないという見方もあり、多くのマヤ文明の研究家たちも終末説を否定している。
また、2010年~2011年にグアテマラで9世紀頃の遺跡から「マヤ最古のカレンダー」が発見され、
その結果2012年の終末を窺うものは見つからなかったと米科学誌サイエンスで発表された。
しかし、マヤ文明の暦を研究しているロバート・ワナメーカーは「マヤ暦にうるう年の計算が入っていなかった為に誤った情報が流れた」と言及し、
うるう年を考慮した完全な滅亡の予言は「2015年9月3日」であると発表した。
さらに、2015年9月3日滅亡説の信憑性を高める証拠として、
古代エジプトのイシス神殿に祀られている「1465体の神の加護が1年ずつ失われる時、世界が水没がする」という予言があり、
イシス神殿が西暦550年に閉鎖したので1465年後の2015年がXデーだという話、
ジョン・タイターの「2015年に核戦争が起こる」予言、
世界三大予言者の1人ジーン・ディクソンの「2015年に混乱がピークを迎える」予言などが挙げられている。
アビドス神殿の壁画(Ancient Egyptian Unknown Hieroglyphics)
エジプトの古代都市遺跡アビドスには幾つかの遺跡があるが、
一般的に「アビドス神殿」といえばラムセス2世の父親・セティ1世の葬祭殿を指す。
この遺跡は紀元前1300年頃ものだが、1997年に見学に来ていた研究家が、葬祭殿の一角に奇妙なものを発見した。
そこには、まるで現代のヘリコプターや飛行船、潜水艦のような物体が描かれていたという。
研究家によって撮影された写真は、テレビやインターネットを通して世界中に広まった。
これらの文字はオーパーツとして広く知られ、現在でもアビドス神殿は多くのファンによって注目を浴びている。
この文字に関しては、下記のサイトが詳しく分析しているので一見の価値あり。
http://www.moonover.jp/bekkan/ooparts/4.htm
結論から言うと、この文字は神殿に王名を彫り込んだヒエログリフだった。
ヒエログリフに馴染みのない人間は「文字としての認識」が出来ないが、読める者にとってはただの文字列に見えるそうだ。
また、この神殿以外で似たような文字が見られないのは、
当時、王が代わると王をたたえる神殿の文字なども掘り直す必要があったためで、掘り直しによって一部の文字がくっついてしまったせいだという。
後になって彫られた文字は「九つの外国を打ち倒す」=「(古代エジプトで九は”全て”を表すため)諸外国全てを打ち倒し平定した」という意味になるそうだ。
ハトホル神殿の壁画/デンデラの電球(Dendera light)
エジプト・デンデラの南東約2.5kmにはデンデラ神殿複合体と呼ばれる遺跡がある。
複合体には主神殿のハトホル神殿や、イシス神殿などがある。
ハトホル神殿にあるレリーフには細長い電球を思わせる絵が描かれており、「デンデラの電球」というオーパーツとしても知られている。
エジプトの学者の見解では、レリーフは神話の描写であり、
「ジェド柱」と、「ヘビ」を内側に産む「ハスの花」のエジプト神話の様相を表しているという。
ジェド柱はオシリス神の背骨としても解される”安定”の象徴だそうだ。
この解釈とは対照的に、それは古代のエジプトの電球の描写であると主張する境界科学(フリンジ・サイエンス)の提言がある。
その仮説では、よく似た現代の装置(例えば「ガイスラー管」「クルックス管」「アーク灯」など)との比較に基づき、
これらのレリーフは古代エジプトの電気技術を描写したものとされている。
ホンス・メスのパピルス(Khonsu-mes Papyrus)
古代エジプトのホンス神殿に由来すると思われる絵図。
「細胞分裂」を描写している部分があるといわれ、オーパーツの1つとして知られている。
細胞は17~18世紀に顕微鏡によって初めて確認され、細胞分裂が観察・報告されたのは1842年なので、
古代エジプトで細胞分裂が知られていたのなら歴史的発見である。
この遺物については、いくつか解説があったので参考に記述していく。
まず、パピルスは右から左にむけて読む。
両手を上に広げているのは「百万」=古代エジプトで「無限」を意味するヘフ神。
ヘフ神が手に「アンク」=「生命」を意味する文字をかけている=「永遠の命」を意味する。
太陽(ラー)と死後の復活を意味する儀式を行うマアト女神がいる。
赤い矢印で示したのは冥界の神で、冥界で裁かれる描写になっている。
青い矢印で示した細胞分裂の上に「アケト」=「地平線の絵文字」が書かれている。
細胞壁に見える部分は両側から二人の女神が水を注ぎ、次に白い服を着た故人がイチジクの樹の女神から乳を飲むシーンがある。
これらの描写から、死者の書の「太陽(ラー)とともに蘇らん」の呪文の部分と推測されている。
ポンペイ遺跡の恐竜狩り壁画(Dinosaur art of Pompeii)
ポンペイは、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。ローマ人の余暇地として繁栄した。
西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれ去ったことで有名。
この都市は1748年に再発見・発掘が開始され、断続的に発掘が行われた。
そんなポンペイにある「医師の館」とよばれる邸宅跡で奇妙な壁画が発見されている。
壁画にはナイル川と、赤道直下の狩猟民族であるピグミー達が狩りをしている様子が描かれている。
しかし同時に、約2億5000年前に生息していた恐竜ディメトロドンのような生物と、
カバのような体にワニのような顔を持つ巨大な生物が描かれている。
未だ壁画の正体は不明だが、カバやワニがカリカチュア化(誇張)して描かれたものだという説もある。
石膏で復元された遺体(ポンペイ遺跡)
画像←クリックしてご覧ください
パレストリーナのナイル・モザイク(Nile mosaic of Palestrina)
ポンペイと同じくイタリアにある都市、パレストリーナでも奇妙な壁画が見つかっている。
ローマの東に位置し、紀元前8世紀頃から続く都市で、「フォルトゥナの神殿」があったことでも有名。
ここでは古代ローマ時代の紀元前1世紀に建てられた遺跡があり、「ナイル・モザイク」と呼ばれる奇妙なモザイク画が発見されている。
この絵画はナイル川の氾濫の様子を表現したものだが、そこにはイグアノドンに似た恐竜やサーベルタイガーのような動物が描かれ、
さらに地球には存在しない奇怪な生物たちの姿が描かれていた。
その後議論が重なり、近年ではプトレマイオス2世のエチオピア探査、
或いはイシスとオシリスの儀式を描いたものという説が挙げられているが、正体は分かっていない。
虚舟の蛮女(うつろふねのばんじょ)
虚舟は、茨城県大洗町沖の太平洋に突如現れたとされる、江戸時代における伝説の舟。
1825年の奇談・怪談本「兎園小説」で、作者の曲亭馬琴が「虚舟の蛮女」という題で図版とともに収録しているほか、
兎園会の会員だった屋代弘賢の「弘賢随筆」にも図版がある。
船の形は香の入れ物やお釜のような感じの円形で、直径は三間(約6m)ほど。
松ヤニか何かを用いて隙間なく固めてあり、底は鉄板を連ねて張ってあり、岩に衝突しても壊れないような頑丈な造りであった。
舟の上部には窓があり、漁民達には中の様子がよく見えた。 皆が覗き込むと、中には女が1人乗っていた。
若者が話しかけてみたがまったく言葉が通じないようで、女は二尺(約60cm)四方の大きさの箱をずっと抱えていた。
この女を役所に届けると負担が大きいので、漁民達は相談したうえで、女を元のとおりに舟に乗せ、再び沖に引き出して流してしまった。
虚舟はUFOの江戸時代的表現ではないかとも言われているが、虚舟が動力を持っていた、もしくは空を飛んだ等と読み取れる資料は存在しない。
他にも「潜水艇説」「神の乗り物説」「ただの創作説」などが挙げられているが、その証左となる資料は出ていない。
浮世絵に描かれた東京スカイツリー
浮世絵は江戸時代(1603年~)に成立した絵画のジャンルで、一般的に多色摺りの木版画錦絵のことを指す。
浮世という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画とされる。
歌川国芳は江戸末期の浮世絵師であり、奇抜なアイデアと確かな画力で武士絵、妖怪絵など多数の作品を残している。
そんな国芳の浮世絵に「東都三ツ又の図」という作品がある。
これは天保2年(1831年)頃の作とされているが、
絵の左奥、隅田川の向こう側に他の建物を圧するような細長い構造物が2つ描かれている。
これは「東京スカイツリー」を予見して描いたものではないかという事で、オーパーツのような扱いを受ける事になった。
左側の低い建造物は当時存在した火の見櫓(やぐら)といわれているが、右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかったという。
1つの説として、(形態は諸説あるが)櫓を誇張して描いたという説が有力視されているが、結論は出ていない。
彼の作品「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」
浮世絵に描かれたハンバーガー
浮世絵に描かれた女性の足元にハンバーガーのようなものが落ちている。
黄色い物体が飛び出している事から、紙に包まれたチーズバーガーのように見える。
この絵は注視すると下書きのような線があり、版画にそのようなものは残らないため、現代に描かれたものだという意見がある。
また、日本画と違い、ハンバーガーそのものの描き方が西洋風であるとも指摘されており、
当時の浮世絵ではないという説が有力とされている。
あからさまだが、浮世絵で描かれたマリオ
ノモリ像
西アフリカの国、シエラレオネのメンデ地方で発見された花崗岩の石像。
モチーフは人間や架空動物などで、立ち姿や跳び跳ねている格好をしている。
大きさは物によるが10~40cmで、地上から20m~50m地下で発掘された。
その場所で有機物を採取して年代測定を行なった結果、2500年前、古いものは1万7000年前という結果が出たそうだ。
石像の中には、現代になって精製が可能になったクロームの金属球が入っており、
どの石像にも地表面には存在しないイリジウムが含まれているという。
この地方には「有史以前に石の彫刻と化して地上に落ちてきた天使族」の伝承が伝わっており、それと関連のある遺物ではないかという説もある。
右下
アカンバロの恐竜土偶(Acambaro figures)
メキシコのアカンバロで発見されたといわれる土偶。
1945年、ドイツ人実業家のワルデマール・ユルスルートがアカンバロの町外れにある山の麓で奇妙な土偶を発見した。
土偶は7年間の発掘でおよそ32,000体見つかり、中には恐竜に似たものもあった。
ユルスルートの友人の地質学者が年代の調査を依頼し、ベータ線計数法で測定したところ、紀元前1000年~紀元前4000年のものという結果が出たそうだ。
恐竜は6500万年前に絶滅しており、人類と共存した時期はない。
そのため恐竜を模した土偶がどのようにして作られたのかが議論の対象となっており、
恐竜の化石や爬虫類を観察して作ったという説、人類と恐竜が共存した時代があったという説などが挙げられている。
また、土偶の造形の中には、現在では間違いとされている恐竜観に基づいたもの
(例えば、ティラノサウルス・レックスが直立しているもの)があるので、懐疑的な見方を持つ者も少なくない。
他にも半人半獣のゾウ人間、ワニ人間や翼を持つ竜など、空想の産物のようなものが多数存在している。
トリンギット族のラトル(Shaman’s rattle)
トリンギットはインディアン部族の1つで、アラスカ、カナダの先住民族。
「ラトル」は振って音を出す打楽器で、メキシコのマラカスのような種類が有名だが、
トリンギットのラトルは「海竜」をモデルにしたような姿をしている事からオーパーツと呼ばれている。
現在は、このラトルに描かれているのは海竜ではなく、
トリンギット族の間に伝わる伝説の鳥「サンダーバード」であるという説が有力とされている。
サンダーバードはUMA(未確認生物)としても知られるが、神話や伝説から抜けだしたものという認識が強い。
どちらにしても、このラトルはその時代には存在していないであろうものが象られている。
タ・プロームの恐竜レリーフ(Dinosaur relief of Ta Prohm )
東南アジアのカンボジアにあるアンコール遺跡群の中に、タ・プロームという寺院がある。
12世紀末に仏教寺院として建立されたこの寺院は、15世紀におけるクメール帝国の崩壊後、他のアンコール遺跡とともに放棄、無視されることになる。
映画「トゥーム・レイダー」の撮影に使われたことでも有名。
浅浮き彫り彫刻などで寺院の壁に刻まれたレリーフの中心には、多くの神話上の人物や神々、動物などさまざまな種類が描かれている。
その彫刻群の中に、「ステゴサウルスに似ている」とされるレリーフがある。
レリーフに刻まれた動物は全て彫刻者の時代に生きていたものと考えられているが、
恐竜は既に絶滅している筈でモチーフになる事はあり得ないため、オーパーツと呼ばれている。
一方で、ステゴサウルスにしては細かな部分が違うという意見や、サイやカメレオンを模したものではないかという説も挙げられている。
700年前のミッキーマウス壁画(Mickey Mouse in Ancient fresco)
オーストリアのマルタ村にある教会で発見されたミッ○ーマウスに似ているというフレスコ画。
製作時期は700年前とされているが、検証方法は不明。ひび割れや風化具合から古いもののようにも見える。
この壁画が何をモチーフに描かれたものかは不明だが、地域住民や多くの観光客からはミッ○ーマウス壁画として認知されている。
ネット上にはフレスコ画の全体像がほぼ無く、ミッキーに見えるものだけがクローズアップされている。
壁画は現在も研究が進められているが、700年前に描かれたという事以外は分かっていないそうだ。
褐炭の頭蓋骨/フライベルグ・スカル(Freiberg lignite skull)
19世紀初頭、鉱山で栄えたドイツのフライベルグで発見された頭蓋骨型の遺物。
1500万年前に形成された中央ヨーロッパの褐鉄鉱石の地層から見つかった。
大きさは不明。褐炭、褐鉄鉱石、磁鉄鉱石で構成されている。
当初の研究では、炭素素材量が人間の頭骨の内部に蓄積し出来たものであると判断されている。
その後何度も分析が行われ、無名の一般人が作った贋作という見解が一般的だったが、
1998年にCTスキャンで調査したところ、頭蓋骨内部が樹木の年輪のような層をなしていることが判明したという。
贋作だとすれば、高熱の素材(褐炭の融点が110度~360度であるため)の薄膜を1枚ずつ重ねて作り上げたことになり、
また、当時そのような手法で制作された工芸品は存在しないことから、模造品の可能性は低いとする主張がある。
トリノの聖骸布(Shroud of Turin)
聖骸布(Holy Shroud)は、キリスト教でいう「聖遺物の」1つで、
イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布。
イエスの風貌を写したという布には、「聖ヴェロニカの聖骸布」「自印聖像」など複数が主張されているが、
現存するのはイタリア・トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている「トリノの聖骸布」のみとなっている。
この聖骸布は1353年、伝存の経緯は不明だが、フランス・リレのシャルニー家が所有しているところを発見された。
本体は縦4m、横1.1mの亜麻布(リンネル)で、布の上に痩せた男性の全身像がネガ状に転写されているように見える。
裏には当て布があてられ、はがすと血の染みが見られる。
布上に残された全身像の痕跡から、頭を中心に縦に二つ折りにして遺骸を包んだと見られ、頭部、手首、足、脇腹部分には血痕が残っている。
信憑性については、本物か捏造かでかなり支持派・懐疑派が分かれている。
2010年には修復後初めて一般公開され、2015年にも一般公開が予定されている。
黄金のデスマスク(Funerary mask from Pre-Inca)
アンデスで紀元前1000年頃に栄えたプレ・インカ文明の墓地から発見されたミイラが着けていた仮面。
「デスマスク」は本来、石膏や蝋で死者の顔の型を取ったものを指すが、この仮面はその名で呼ばれている。
仮面は金で作られ、涙を表現したと考えられる7つのエメラルドが両方の目に数珠つなぎに垂れ下がっている。
このエメラルドには極小の穴があけられ、糸が通されているが、
加工の難しいエメラルドにどうやって極小の穴を開けたかが不明であり、オーパーツの扱いを受けている。
鉱物の硬度基準でいえばダイヤモンドやルビーが10、エメラルドは7.5となっており、非常に硬く、そのうえ縦の衝撃には脆く割れやすい。
青い貝殻の首飾り(Blue seashell necklace)
黄金のデスマスクと同じくプレ・インカ文明の遺物で、墓から出土した首飾りのようなビーズ。
このビーズはスポンディルスという青い貝の貝殻を使った工芸品で、
ビーズはそれぞれ円筒形に加工され、1個の直径はわずか1mmとされる。
そして、それぞれのビーズには直径0.3mmの極小の穴があけられ、糸が通されている。
貝殻という脆い材質に極小の穴をあけるということは現代でも容易なことではない。
写真では新しく別の糸が通されて保管されているが、発見された時は0.3mmという穴に極細の糸が6本も通されていたそうだ。
バールベックの巨石(Trilithon and Stone of the South)
中東・西アジアのレバノンにはバールベックと呼ばれる古代都市遺跡がある。
ここには「トリリトン」と呼ばれる3つの巨大な組み石と、「南方の石」と呼ばれる巨大な切石があり、
どちらも人力では到底移動出来ないためオーパーツといわれる。
「トリリトン」はジュピター神殿の土台に使われており、三石の長さは約18m、重さは650t~970tで、
建築物に使われた切石としては世界最大とされる。
一方、建築物に使われていない切石として世界最大を誇るのが「南方の石」で、長さは約21.5m、重さは2,000tもある。
BBC放送で行われた実験では、丸太を使い、1トンの切石を1日1マイル運搬するのに16人が必要という試算が出ている。
この試算に基づけば、トリリトンは1万5000人以上の人員が必要となり、南方の石は3万2000人も必要となってしまう。
しかもこれだけの規模になるとロープの強度の問題や、多くの人間の力を集中させることが難しく、現実には運搬不可能といえる。
トリリトン
南方の石
現代の知識を持ってしても運搬可能かどうか微妙なくらい
巨大な石をよく使おうと思ったもんやで
バールベックの巨石 その2
実際には、南方の石がある場所は元々石切り場として使用されていた。
また、石の下の部分は土に埋もれており、この石が確かに動かされた形跡というのは発見されていない。
南方の石は自然にあった巨石を加工したものの、その後(恐らくは巨大さ故に)放置されたと考えられている。
しかし、トリリトンの3石は実際に神殿の土台に使われており、石切り場から1km離れた場所に存在している。
970tの石を運ぶのは運搬不可能だとされているが、実は過去にトリリトンよりも重い石が運ばれた実例が見つかっている。
それは230年前、ロシアでピョートル1世の騎馬像土台に使われた石で、1,250tもある巨石を約6km、木製のソリにのせて人力で運んだ。
そのため、トリリトン級の巨石でも運搬方法は存在すると考えられる。
→重量の限界
このような古代の運搬技術への疑問は、オーパーツを扱う書籍に書かれた、
「NASAがロケットの移動に使用している最新技術のクレーンでも700t(古い本だと500t)が限度」という話からきているとされる。
しかし、現代の機械はそれを超える重量に対応しており、
無限軌道クレーンの「CC8800-1 Twin-kit」は、最大3,200tまで吊り上げ可能であり、
日本のクレーン船「海翔」は最大吊り上げ重量限度が4,100トンとされているそうだ。
陸上での運搬では「ユニットドーリー」というトレーラーが、最大3,226tの重さまで運搬可能だという。
CC8800-1 Twin-kit
牛根大橋を運搬する海翔
(お、jか?)
ワイは自転がすっげえ速くて重力が小さかったんじゃないかと妄想してる
だから赤道付近は文明の痕跡があって、両極にはなかったのかと
サクサイワマンの逆さ岩(Upside down stairs of Saksaywaman)
サクサイワマンは南米・ペルー、インカ帝国の遺跡で、ナンコ・カパック二世がスペイン軍と戦った要塞とされる(現在は諸説あり)。
「逆さ岩」は、砦から100mほど離れた場所にある、4階建てのビルに相当するほどの巨大な岩石。重さは推定20,000t。
中が削られたり、くり抜かれたりしており、人の手によって加工された様相を呈する。
岩の内部には階段や廊下、らせん状の模様やソファのようなものが作られているが、
それらの家具は奇妙なことに天地が逆さまの状態になっている。
岩をくり抜いて家のように使っていたとも考えられるが、
家具全てが天井につけられているというのは不自然であり、違う目的で作られたという説もある。
また、この大岩を逆さまに返すほどの自然現象が起こったならその痕跡が辺りで見つかる筈だが、その様子もないそうだ。
正確な加工時期は分かっておらず、推定5000年前程度のものとされている。
サカサイワマンの逆さ岩?(難視)
オリャンタイタンボの屏風岩(The walls of Ollantaytambo)
「逆さ岩」と同じく南米ペルー、インカ帝国の遺跡にある構造物。
南米大陸周辺に興ったプレ・インカ文明の1つであるクスコ王国を1200年頃にケチュア族が建国し、
その文化を受け継ぎ興ったのがインカ帝国とされている。
この遺跡には6枚岩が連なる屏風岩があり、1枚平均の高さは4m、重さは50t~80t。
屏風岩が建てられているのは高さ150mほどの丘の上だが、材料を切り出したと思われる場所は、
丘の下を流れるウルバンバ川の向こう岸の山の中、高さ330mの地点にある。
インカ帝国には巨石を使った遺跡が数多く残されており、加工技術も謎のままで、表面が非常になめらかに加工されているものが多い。
また、合計300tの石を人力で切り出し、運び、並べて建てるのは不可能に近いため、その面でもオーパーツに挙げられている。
(重さ自体は人力で運搬可能と思われるが、山の斜面では木のコロが使えないと言われる)
イースター島のモアイ(Moai)
チリ領のイースター島には、モアイと呼ばれる人面を模した石造彫刻がある。
多くの場合海に背を向けて、正確にはかつての住居跡を囲むように多数建てられている。
大きさは3.5m、重量20t程度のものが多いが、最大級のものは20m、重量は90tに達する。
島で産出される凝灰岩でできており、建造中に放置されたものも含め約900体ある。
モアイの様式は造られた時代によって変化している。
初期のモアイとされるものは3m程度と小型のものが多いが、時代が進むにつれ大型化していき、顔も後期には細長くなっていった。
一部のモアイには「胴体」があり、後期の特に大きなモアイは「赤い石」を頭上に乗せ、一部のモアイには「目」があった。
モアイという言葉の語源と意味は諸説あり特定に至っていないが、それ以上の謎は建造目的だった。
近年の調査で台座から人骨が多数発見され、「モアイは墓碑だった」という説が有力になりつつある。
独特の形状についても起源は未解明で、像の運搬手段とともに特定には至っていない。
目のあるモアイ(復元されたレプリカ)
胴体のあるモアイ
<オーパーツ(工芸品以外)>
ストーンヘンジ(Stonehenge)
イギリス・ロンドンから西に約200kmのソールズベリー周辺に位置する環状列石(ストーンサークル)。
アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時には既に存在していたといわれる。
ストーンヘンジは、円陣状に並んで直立した巨石と、それを囲む土塁からなる。
考古学者はこの巨石が紀元前2500年~紀元前2000年の間に立てられたと考えているが、それを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。
遺跡の目的は、「太陽崇拝の祭祀場」「古代の天文台」「ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂」など様々な説が唱えられているが、未だ結論はでていない。
また、建設技術についても謎が多く、
「巨石の運び方」(丸太と縄で運ぶ/水に浮かべて運ぶなど)、
「石の組み方」(巨石を立てる技術はあったと思われるが、石の上に石を寝かせる技術)、
「労働力」(何百日~何十年かかる年数、労働者、組織力などの謎)など、完全に判明していない部分も多くある。
この地では巨石のモニュメント以前にも数々の古代建造物が造られており、
それらから当時の生活、文化、思想を紐解くことが重要な鍵とされている。
復元イメージ
大湯環状列石
大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)は、秋田県鹿角市十和田大湯にある縄文時代後期の配石遺跡。
「日本のストーンヘンジ」とも呼ばれる。
昭和6年(1931年)に発見され、約130mの距離をおいて東西に対峙する野中堂と万座の環状列石で構成されている。
山岳丘陵の末端にのびる台地の先端部に造られており、河原石を菱形や円形に並べた組石が二重の環になって配置されている。
外輪と内輪の中間帯には一本の立石を中心に細長い石が放射状に並び、
その形から「日時計」といわれており、万座・野中両方の遺跡にある。
大湯環状列石が作られた目的に関しては諸説あるが、近くに構造が似ている遺跡があり、
これは墓であることが明らかになっているため、大規模な共同墓地ではないかという説が有力視されている。
→石舞台古墳
奈良県明日香村にある7世紀頃に作られた古墳。
元々は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土は失われ、現在は巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。
埋葬者は蘇我馬子が有力視されており、「蘇我馬子の墓」と呼ばれる事もある。
施設は両袖式の横穴式石室で、30数個の石が積まれ、総重量は2,300tに達すると推定されている。
特に天井石は約77tとかなりの重量であり、古墳の製作工程は様々な仮説が挙げられているが、
中には当時の技術的に不可能であるといった説も存在する。
→王位石
王位石(おえいし)は、長崎県野崎島の沖ノ神島神社にある巨石。
野崎島は長崎県五島列島の北東部に位置する島で、住民表が1人分だけ置かれているほぼ無人の島。
旧石器時代から戦国時代にかけての遺跡や遺物が多数出土している事から、太古より人が住んでいたとされる。
沖の神島神社は飛鳥時代にあたる704年に建てられた社で、五島で最も古い神社といわれている。
王位石は頂上までの高さ24m、両柱の幅12m、頂上の巨石は5m×3mという大きな石の構造物で、
この奇妙な石の配置は自然の産物か、人の手によるものかは不明とされている。
ナスカの地上絵(Nazca Lines)
南米・ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表面に描かれた幾何学図形や動植物の絵。
動植物の地上絵は1939年に考古学者のポール・コソックが発見。
その後ドイツの数学者マリア・ライヒェが終生この地に住み、彼女を中心として地上絵の解明作業と保護が行われるようになった。
あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの絵の全体像の把握が難しい。
描き方もそうだが、なぜこのような巨大な地上絵を描いたのかということが大きな謎となっている。
巨大な絵を描く方法としては、
「十分な大きさの原画を描き上げた上で適当な中心点を取り、そこを起点にして放射状に原画の各点を相似拡大する」
という「拡大法」で描かれたという説が挙げられている。
成層圏ほどの高度しか見えないものもあるため、その方法で本当に出来るのかと指摘されたこともあるが、
地上絵の端にあった杭の存在や、地上絵の縮小図の発見などを考えると拡大説が妥当と考えられている。
ハチドリ(hummingbird)
いつも楽しませてもらっとります!
サンガツ
ナスカの地上絵 その2
日本では小学校の算数の総合学習として、
児童による画鋲2個と糸1本のみを使ったナスカの地上絵の再現(実物大再現を含む)を、グラウンドや体育館で20回以上実践。
児童15名~160名により、いずれも開始後150分以内で再現に成功した。
このような研究結果から、日本の小学校程度の算数知識があれば地上絵の描画は充分可能であることが証明されている。
地上絵の性格については様々な仮説が提唱されており、
「暦と関連する説」「貧民への報酬のための公共事業説」「雨乞い儀式利用説」などが挙げられている。
動物を描いた地上絵は、46mのクモ、96mのハチドリ、55mのサル、65mのシャチ、180mのイグアナ、135mのコンドルが挙げられる。
現時点で最大のものは、ペリカンかサギ、もしくはフラミンゴを描いたと推測される285mの鳥類の絵。
花や木々、装身具や織物のような日常生活の道具を描いたものや、
宇宙飛行士と呼ばれているもの、片手が4本指の手など、不可思議な図柄もある。
2015年7月には、山形大学から新たにリャマなど24点の地上絵を発見したと発表があった。
サル
宇宙飛行士
中東の地上絵(Wheel stone structure in Middle East)
地上絵といえば「ナスカの地上絵」が有名だが、
中東のシリア・ヨルダン・サウジアラビアなどの国でも大規模な地上絵が発見されている。
これらの地上絵は衛星による航空写真技術で発見され、描かれているのはストーンホイール(石の車輪)と考えられている。
作られた時期は2000年前と推定されており、ナスカの地上絵より古い可能性も指摘されている。
絵の存在は1927年にイギリス空軍のパイロットが発見していたといわれるが、
当時は報告のみが学誌に掲載されただけで、長らくその存在が忘れられていた。
また、地元の遊牧民ベドウィン族の話では、これらの遺跡を「老人の仕事」と呼ぶそうで、地域の人々は地上絵に気づいていた可能性もある。
絵は直径は25m~70mほどあるそうで、構造物にはカイト形(動物を追い詰めるための構造)、
ペンダント形(墓から続いている石塚の列)、詳細不明の何百フィートにも渡って蛇行する壁などがある。
あと半分は明日に回します では
サンガツやでー
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