母親と父親を連れて現場に戻る
K君の家には、Y君の両親とY君の兄(小学3年生)も来ていたので、
2人は「円盤だ、UFOが出た!」と騒ぎ立てたそうです。
両親は最初は信じなかったものの、あまりに必死に訴えるので、
K君、K君の母親、Y君、Y君の母親とY君の兄、5人でぶどう畑へ向かったのです。
するとぶどう畑では、まだオレンジ色の光が明滅しており、UFOが地面から浮き上がり
クルクルと回っていたのだそう!
その驚きの光景を見たK君の母親が、慌てて父親達を呼びに家に帰り、棒を持った父親達とともに戻ってきました。
後のK君父へのインタビューでは、
↓
「目もくらむようなオレンジ色の光が見えた。あれがライトということはない」
と語っています。
そしてUFOは最後に強烈な光を放ち、スーッと消えたのです。
※光が強くなった際、Y君の兄が宇宙人が横に歩いて行くのを見たといいます。
▲黄色いラインが少年たちの移動経路
事件の調査
翌日、この話を学校でしたところ大騒ぎに!
そのため担任の先生が、昼休みに二人と共に現場を見に行くと
そこにはUFOの着陸痕と見られる凹みがあったのです。
その事件の一報を受けた山梨日々新聞の全面協力の元、現地調査が行われ、以下のような物的証拠が発見されました。
・ぶどう畑のコンクリート製の 柱が 一本折れていて、二本が傾いてたり倒れたりしていた
▲UFOが折ったとされる柱
・柱の上に 張られた ぶどうのツルを這わせる為の金網は、重たいものを乗せたように、大きく広がっていた
・地面には大きな穴が4つ空いていて、リヤカーの轍のような痕があった
・大きな穴には、白い灰のようなものがついていた
・さらに、この事件に興味を持った同市の県立機山工高電気科教諭M氏が、現場の放射能を測定。※M教諭は、国家資格である第一種放射線取扱主任者の資格を持っていた。
現場のぶどう畑の40ヶ所近くからサンプルを採取し、ガイガーカウンターでの測量を続けた結果、自然放射能よりエネルギー量が多く、また人工放射能特有の特徴が見られた。
▲現場の土壌サンプルから得られた人工放射能特有の放射能減衰曲線
事件の信憑性を高める複数の目撃証言
K君、Y君の一家がUFOを見失った同時刻、保険外交員の女性が車で移動中、ドンドンという打上げ花火のような音を聞く。
すると、狭い道の途中に立ちふさがる二人の男の子(身長130~140cmくらい)に気付いたそうです。
しかし、クラクションを鳴らしてもどこうとしないので、ゆっくり避けて通ろうとすると、一人がフロントガラスに手を付け、車の中をのぞきこんできたとのこと。
女性はその異様な姿に驚きました!
▲女性が見た怪人のスケッチ
・顔は黒く、目の下はまっすぐで、クシャクシャの上まぶた
・鼻のようなものはあった
・手のひらは真っ黒でシワだらけ
・手首が亀のように黒くてこれもシワだらけ
・もう一人の怪人も、まったく同じ顔をしていた
ぞっとした女性が逃げるように道を南下すると、道の先から棒を手にした子連れの男女の一団がやってきて、Sさんの車を止めました。
女性が「なんですか?」と怪訝そうにたずねると、
男性に「UFOを見ませんでしたか!?」と聞かれたそうです。
※状況から察するにおそらくK君、Y君の家族だったのでしょう。
女性は、先程見た怪人とUFOを結び付けられず、「いいえ、知りません」と答えると、そのまま走り去りました。
※以上の証言は、事件から7年たった1982年頃に、初めてマスコミに明かされた内容とのことです。
・他にも、K君宅からほど近い甲府市環境センター管理人が、同時刻に明滅する物体が飛ぶのを目撃。
・同時刻頃、現場北にある国道20号線を走行中の車から、小学校二年生の少年とその母親が、夜空に青白く輝く発光体が行ったり来たりしているのを目撃。
・また同じく夜7時頃にも、下今井町・常光寺住職が、寺の南の空にジグザグ飛行をして急降下して消え去ったピンポン玉くらいの青白い光を目撃。
あとがき
以上の「甲府事件」は、何人もの目撃証言や物的証拠もあることから、かなり信憑性が高そうです。
複数の大人が見てるってのも面白いですね。
子供の証言だけだったらここまで大事にはならなかったでしょう。
大人(38歳)になったYさんへのインタビュー動画もありますが、やはり今でも当時のことを鮮明に覚えているようです。
「今、改めて当時のことを思い出してあれは、宇宙人、UFOだったという確信はありますか?」
・・・との質問にYさんは、以下のように答えてます。
「信じる、信じないっていうか、体験しちゃってるんで、否定はできないですね・・・」
そして、その甲府事件後Yさんは、小学生時代にUFOを数十回目撃しているそうです。
ストーカーのようにUFOに付け狙われてたようですね。
未知との遭遇、自分も死ぬまでに一度は体験してみたいものですが、体験したらしたで宇宙人からストーキングされるというのは・・・ちょっと考え物ですね^^;
コメント
私も1975、76年に小さくですが東京世田谷区で、78日79年に横浜でUFOを見ました。75年に初めてオレンジ色に輝くピンポン玉のようなUFOの話をしたところ、友人から甲府と介良の事件を聞きました。話はごちゃ混ぜになっていたようですが。
父親は私の話を笑って本気にしませんでしたが、すぐに通勤帰りに東京、世田谷区付近で。車から大きなオレンジ色の帽子のような(アダムスキー型)UFOを見たと興奮していました。大勢の人が空を見て騒いでいたので、止めて見たそうですが、下から蛍光灯のような白い光線を出していて、ドイツの新型飛行物体では、などと申していましたが、最近になって第二次大戦時から、アダムスキーの原型がドイツですでに作られていたと知りました。ジョン.レノンが1974年にニューヨークで見とUFOにそっくりなようでした。
ジョンは1975年に、ダコタハウスの自宅で小さな昆虫タイプの宇宙人を目撃し、気がついたら、金色のウズラ卵より少し大きいくらいの金色の物体をにぎっていたが、きみが悪くてユリゲラーに渡したそうですが、介良事件のUFOのサイズが似ているように思いました。
甲府事件の宇宙人は、30年以上前の鎌倉の”あらめや”という旅館のおばあさんが目撃したという宇宙人を思い出しました。銀色の宇宙服らしきものを着ていたそうですが。
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