【徳川埋蔵金伝説】第1章~赤城山徳川埋蔵金発掘の真相

徳川埋蔵金

黄金の家康像はデマだった

 

昨年に放送された、「林修の歴史ミステリー 徳川家260年最大の謎」では触れられていませんでしたが、

徳川埋蔵金の決定的な物的証拠とされていた「家康の黄金像」が、実はデマであることが明らかになっています。

 

埋蔵金発掘プロジェクト第6回目での発掘調査で、水野家初代・知義が書き残した資料を法政大学の村上教授に解析を依頼。

その結果報告書を見た糸井氏は愕然とします。

 

「家康の黄金像」は、実際には純金製ではなく「銅製」、さらには、発見された場所も全く別の場所だったのです。

 

行方不明になっているとはいえ『黄金の家康像』という物証があったからこそ、赤城山に埋蔵金があるにちがいないと思われてきたのだ。

発掘チームがいちばん最初に赤城を目指したのも、そんなものが出た以上、何でもないってことはないだろうというのが発端だった

出典:あるとしか言えない 糸井重里

   

つまりは、徳川埋蔵金発掘に命を賭けてきた水野家初代・水野知義が詐欺にあっていたことが、資料に書き記されていたのです。

 

これは、当時『ギミア・ぶれいく』を観ていた筆者もがっかりしたことを覚えています。

 

1990年にはじまった徳川埋蔵金発掘プロジェクト、それから足かけ3年。

 

・・・終わった

 

 

 

もし初期の段階でこの書類を手にしていたら、即座に発掘なんかやめていただろう

 

出典:あるとしか言えない 糸井重里

 

 

数億をかけて掘った巨大すぎる大穴を見つめ…糸井隊長はなんとも言えない徒労感に襲われたそうです。

 

 

それでは…糸井氏が発見した「すばらしい穴」とは何だったのか?

 

『ギミア・ぶれいく』が放送されていた当時、発見された穴は、水野家初代・知義が掘った穴を糸井氏が掘っているだけだとの指摘が相次いだようですが、

埋蔵金発掘で知義に発掘当初から終わりまで(12~13年)雇われていたという青木重治さんが発掘現場を訪れ地下60mという大穴を見て、知義が掘った穴ではないと証言。

 

 

・・・では、あの「すばらしい穴」は誰が掘ったのか?

 

調べた結果、あの穴は、水野智義から事業を受け継いだ次男の「義治」が掘った穴だと言うことがわかりました。

「義治」は強力な支援者を得ていたのです。

その人物は、近衛文麿(このえ ふみまろ)内閣(第34・38・39代)のブレーンといわれた

 

後藤隆之助。

 

後藤は陸軍の退役者などを中心にした在郷軍人を赤城に集め、義治の下で発掘を手伝わせました。

 

その期間がどのくらいあったのかはっきりしていませんが、まるでアリの巣のように複雑に掘られた穴※は、

当時の発掘がいわば国家レベルでの事業だったことを今に伝えています。

※穴の総延長は25キロメートルもあったとも言われている。

 

90年に始まったTBSによる大発掘の際に、地下60mから現れた「すばらしい穴」が、この時期に掘られたものであることはまず間違いなさそうです。

 

あの一帯は探索のために掘られた穴だらけなのです。

 

 

上記の情報について、糸井氏も調査の過程の中でおそらく知っていたとは思いますが、
あえて出さなかったのは、高視聴率番組を引っ張るための大人の事情だったのでしょう。

 

 

ところで、現在掘られている場所から見つかった横穴についても気になりますよね。

それについても以下にまとめてみました。

元警察署長 三枝茂三郎の埋蔵金発掘

 

東京の警察署長や区議会議員まで務めた三枝茂三郎という人物が赤城山麓で徳川の埋蔵金探しを始めたのは、1938年(昭和13年)のこと。

三枝茂三郎は、水野家の銅板を基に埋蔵金発掘を行いました。

 

その場所は、現在の渋川市赤城町長井小川田。

水野家のある津久田から、銅板に刻まれた秘文が見つかったという双永寺へ向かう途中の、農道から一段上がった台地の上。

 

ここが2016年12月21日に放送された、「林修の歴史ミステリー 徳川家260年最大の謎」で発掘をはじめた場所です。

 

三枝氏が掘った穴の深さは約75m、そこから無数に横穴が伸び1本あたり約50mほど掘り進んでいるとのこと。

ですので、今回番組で発見された穴、これも前発掘者である三枝茂三郎が掘った穴だと思われます。

地中レーダーも、この横穴に反応したのでしょう。

 

三枝氏は、昭和32年の夏。

地下180尺(約55m)で川砂を山形に固めたものを発見。

地下190尺(約58m)で石灰を混ぜ合わせ川砂が赤く色づけされて、朱までまじったものを発見している。
地下200尺(約61m)で石灰交じりの黒砂を
地下208尺(約63m)で白い石灰で固めた「三州たたき(コンクリートに近いもの)」を
地下220尺(約66m)で周囲の壁は石で畳んだピンク色の石灰で塗り固めてあった。
その中央が宝庫と思えたが、からっぽだった。
参考:畠山清行 日本の埋蔵金 下 P64)

 

次が重要

作業員が、釣瓶(手動式のエレベーター)にのって竪坑(たてこう)に降りるところから始まる。

作業員たちは、地下170尺(約52m)の個所で「横穴」へもぐりこみ、掘進作業を続けていた

(参考:畠山清行 日本の埋蔵金 下 P65)

引用元:http://www001.upp.so-net.ne.jp/tokugawa165/TBS.html

 

しかし、彼は成果を得ることはできなかった。もっと厳しい言い方をすれば、徳川埋蔵金の糸口は何一つつかんでおらず、
後に続く者への示唆めいたものさえ残していない。
そもそも、『双永寺秘文(銅板に刻まれた秘文)』の謎解きの内容もお粗末で、たどり着いた百庚申(ひゃくこうしん)が特別の存在とは考えられない。
庚申塚なんて、田舎に行けばどこにでも残っている。

引用:http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20150203/Weeklyjn_7587.html?_p=2

 

 

番組では、ショベルカーでの総掘りをするのでしょうから、三枝氏が掘った物証は出るでしょうけど…

埋蔵金はどうでしょうか…;

 

しかし…三枝氏が見逃していることもあるかもしれませんので、次回も楽しみにしたいと思います。

 

 

徳川埋蔵金は、他にも埋蔵されたと言われている候補地があるので、次回から徐々に紹介させていただきたいと思います。

ちなみに日光東照宮ではないです。

まあ「徳川埋蔵金伝説のまとめ」をしようかなと思っていますので、その部分についても書いていきたいとは思いますけどね^^;

 

次回もよろしくお願いいたします。

コメント

  1. 165 より:

    はじめまして
    埋蔵金発掘が趣味の人の165です。
    上手にまとめられていて感心しました。
    おお!うちのHPの画像が使われている!って、うれしくなりました。
    埋蔵金の楽しさを広める協力は惜しみませんので、お気軽にメールでお問合せください。
    今後ともよろしくお願いします。

    • 管理人 より:

      165さん、コメントありがとうございます。

      はじめまして弓岬(ゆみさき)と申します。
      よろしくお願いいたします。

      165さんのサイト非常に興味深く拝見させていただきました。
      今回、お断りもなく資料を使わせていただきまして、すいません…汗…汗

      昨年は、世界の何だコレ ?ミステリーでトレジャーハンターの八重野さんが発掘されてましたし、
      林修氏の番組では、三枝氏が発掘していた現場をこれから総掘りするようなので、
      『ギミア・ぶれいく』の頃から徳川埋蔵金発掘に注目している自分としては、ドキドキ ワクワクが止まりません^^

      個人的には、三枝氏の現場よりも、八重野さんと高橋さんが掘られている場所が非常に気になります。
      双永寺の床下から発見された3枚の銅版を信用するのであれば、
      お二人の暗号解読は何となく的を得ているような気がして…興味深いです。

      世界の何だコレ! ミステリー 徳川埋蔵金SP! 第3弾が楽しみですね。

      何かわからないことがありましたらお言葉に甘えてメールさせていただきますので、
      こちらこそ今後共よろしくお願いいたします。

      弓岬

  2. 165 より:

    メールありがとうございます。
    埋蔵金って、ワクワクしますよね。
    三枚の銅板のうち、謎文の銅板をよく読むと矛盾に気が付き、解読ができますよ。
    しかも解読のヒントは、すでに弓岬さんもご存じだという驚愕の事実w
    私もUMA、宇宙人、オーパーツは大好物でございます。
    これからもよろしくお願いいたします。

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