【徳川埋蔵金伝説】第1章~赤城山徳川埋蔵金発掘の真相

徳川埋蔵金

 

発見された数多くの物証

 

黄金像発見と同じ頃、近所にある寺(双永寺)の縁の下で、埋蔵金の在りかを記したとされる銅板など、手がかりになりそうな遺物がいくつか発見されました。

 


 

『灯明皿』

 

黄金の家康像と一緒に源次郎の井戸から発見されたと言われている。

「子ニ四芝下炭」など、謎の文が刻まれている。

 


 

『双永寺秘文』(深山の双永寺の床下から発掘されたとされる3枚の銅版※の写し3点)

※銅版は現在行方不明

 

謎文

 

甲乙丙 一八六など書かれた銅板

右、一ニト記シタルハ方度足斟ノ両用トス と、書かれている。

水野一族は、これを甲(きのえ)=東とし、一八六を歩数または尺数とし源次郎の井戸(角田源次郎がかって掘った井戸)を中心にて探索した。

 


 

絵地図

 

左上に「上毛赤城原野 字津久田原云フ」と書かれており、赤城の津久田原の地図だと思われる。

水野氏一族は、この絵地図を元に探索したということは、著書等に出てこない。

赤城で似たような地形が見つからなかったのか、謎文の方を有力と見たのかは不明。

絵図の中に「中」と書かれた部分や「○」、木を連想させる「」などが書かれている。

 


 

方位図

 

「子=北」「牛=南」などを見る限り、「中」を中心とした方位図と思われるもの

甲の下に「△」戌の下に「○」などが書かれており、「△○」のもつ意味は不明である。

 

引用元:http://www001.upp.so-net.ne.jp/tokugawa165/tokugawa.html


 

 


 

また、恒二郎の娘・カンと結婚した智義は、舅の紹介で源次郎に会った。

舅も松村竹二郎からの依頼で人足の手配などを担当したが、源次郎は竹二郎らの用いた資材の調達を担当しており、
「萬四目上覚之帳(よろずしめあげおぼえのちょう)」なる資材購入の台帳などを持っていた。

 


▲萬四目上覚之帳

慶応2年1月から10月の間、前橋藩士・松村竹二郎と名乗る人物を首領とする武士数十人が、領民ら100人以上を動員して津久田原で何らかの作業をしていた際に、竹二郎らの用いた資材の調達を担当しており、「萬四目上覚之帳」なる資材購入の台帳などを持っていた。

引用元:http://www001.upp.so-net.ne.jp/tokugawa165/tokugawa.html

 


 

智義は苦労して、「萬四目上覚之帳」などを手に入れた。

宮林雲行や児玉拡平の正体は不明だが、一説には雲行は元幕臣で、同じく幕臣・林鶴梁次男の羽倉鋼三郎と親しかったという。

一方、拡平の前身は幕臣とも前橋藩足軽ともいわれたが、当初、敵愾心をむき出しにしていたこの老人も、やがて智義に対して心を開くようになり、
明治24年(1891)に没するまでの間に御用金の隠匿の経緯を記したといわれる

「大義兵法秘図書(たいぎへいほうのひずしょ)」なる謎の巻物や、

やや曖昧ないくつかのアドバイスを智義に与えた。

 


▲大義兵法秘図書

画像引用元:http://www001.upp.so-net.ne.jp/tokugawa165/tokugawa.html

 


 

蔵人の言葉の中に、
「児玉こと藤原(菅原とも)殿が御用金を見張っている」とあったというのは児玉拡平のことであろう。

雲行も同じく御用金の番人と思われた。
また、児玉拡平が智義に語ったというところによると、この御用金計画には

 Ⅰ 小栗上野介忠順(幕府勘定奉行)
 Ⅱ 林 鶴梁(幕府代官・学者)
 Ⅲ 中島蔵人(幕府勘定吟味役)
 Ⅳ 柴田監物(幕府甲府城代)
 Ⅴ 林 国太郎(林鶴梁の長男)
 Ⅵ 羽倉鋼三郎(林鶴梁の次男)
 Ⅶ 雲井龍雄(元米沢藩士)
 Ⅷ 屋代昇平(元前橋藩士)
 Ⅸ 大忍坊温海(だいしんぼううんかい、僧侶)
 Ⅹ 桜正坊(おうしんぼう、僧侶)

といった人物が関係しているという。
以上の資料や出土品、伝承に勇気づけられた水野家では、以後も智義、その子の義治・愛三郎兄弟、愛三郎の次男・智之氏(現当主)の4人が
百十年以上にわたって掘り続けているのである。

引用:http://sky.geocities.jp/amb_akagi/mytown/f-maizoukin/

 

 


そして、3代目に当たる水野智之氏の時に、TBSからの協力要請は届きました。…

 

糸井重里氏が最初にとりかかったのが、黄金の家康像が発見された場所の特定。

 

しかし、この場所は既に分かっていたのです。

水野家初代・知義が書き記した日記によると、黄金の家康像が発見された近くに井戸(通称:源次郎の井戸)があり、その場所に目印の杭を打ち込んでいたのです。

調査の結果、ついに井戸跡らしき規則的に並ぶ石群の発見に至りました。

 

この場所が調査すべき場所であると糸井氏は判断。

 

手がかりを突き止めた糸井隊長ら一行は埋蔵金へと近づく確かな手ごたえを感じ、

ここから歴史に残る一大土木番組※がはじまったのです。

※徳川埋蔵金発掘現場で作業に取り掛かったスタッフは最大・90名。
7台もの重機を駆使して行われた一大プロジェクトは、総額3億5000万円の費用が投じられたとのこと。

 

 

その後、番組では「正体不明の空洞を発見!」「幕末のものと思われる重要な証拠が次々と!」など、その動向に視聴者の注目が集まりました。

 

仕舞いには発掘のために、MAX60メートルの深さまで穴を掘ったり、水野家の一部を取り壊したりもしました。
しかし、どんなに手を尽くしても埋蔵金は出てこず…徳川埋蔵金プロジェクトは、大きな成果を挙げられないまま終了したのです・・・

  
その後も同様な番組がありましたが、発見には至っていません。

 

次ページでは、ここまでの発掘でわかっていることをまとめさせていただきました。

コメント

  1. 165 より:

    はじめまして
    埋蔵金発掘が趣味の人の165です。
    上手にまとめられていて感心しました。
    おお!うちのHPの画像が使われている!って、うれしくなりました。
    埋蔵金の楽しさを広める協力は惜しみませんので、お気軽にメールでお問合せください。
    今後ともよろしくお願いします。

    • 管理人 より:

      165さん、コメントありがとうございます。

      はじめまして弓岬(ゆみさき)と申します。
      よろしくお願いいたします。

      165さんのサイト非常に興味深く拝見させていただきました。
      今回、お断りもなく資料を使わせていただきまして、すいません…汗…汗

      昨年は、世界の何だコレ ?ミステリーでトレジャーハンターの八重野さんが発掘されてましたし、
      林修氏の番組では、三枝氏が発掘していた現場をこれから総掘りするようなので、
      『ギミア・ぶれいく』の頃から徳川埋蔵金発掘に注目している自分としては、ドキドキ ワクワクが止まりません^^

      個人的には、三枝氏の現場よりも、八重野さんと高橋さんが掘られている場所が非常に気になります。
      双永寺の床下から発見された3枚の銅版を信用するのであれば、
      お二人の暗号解読は何となく的を得ているような気がして…興味深いです。

      世界の何だコレ! ミステリー 徳川埋蔵金SP! 第3弾が楽しみですね。

      何かわからないことがありましたらお言葉に甘えてメールさせていただきますので、
      こちらこそ今後共よろしくお願いいたします。

      弓岬

  2. 165 より:

    メールありがとうございます。
    埋蔵金って、ワクワクしますよね。
    三枚の銅板のうち、謎文の銅板をよく読むと矛盾に気が付き、解読ができますよ。
    しかも解読のヒントは、すでに弓岬さんもご存じだという驚愕の事実w
    私もUMA、宇宙人、オーパーツは大好物でございます。
    これからもよろしくお願いいたします。

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